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には食い会があ
2017年05月23日
「そうですか。でも、相馬さんが傍にいるなら心強いでしょう。」
「そうだろうか。いつかは会津に連れて帰りたいと思っているのだが……。日々の暮らしで精いっぱいでままならないことが多いよ。」
「会津に帰りたいのは皆、同じですよ。でも、故郷は今も荒廃したままです。寺のご住職が見かねて埋葬して下さった藩士の墓さえ、小役人が暴きましたから。」
「……会津は、いまだにそんな有様なのか。一衛の祖父と母は、城へは入らず家に残って自害したんだ。何とか奇特な人の手で荼毘に付されればいいと願っていたが……その分だと城下もどうなっているかわからないな。」
「ええ。しかも落城以来、百姓一揆がずっと続いているそうです。百姓も我慢の限界に来たということなんでしょう。」
「そうか。会津の者は藩士だけでなく百姓も苦労しているのだな……」
ふと、名主の清助の顔を思い出す。清助のおかげで、ここにこうしている。
「例え天が許しても、わたしは大義なく会津を苦しめた薩長を許しません。戦で血で血を洗うのが避けられなかったのだとしても、人道を外れたやりようは許せない。いつか機れば、誇りを踏みつけにした奴らに、一泡吹かせてやるつもりです。」
「そうか。今後も懐に入って機を伺うということか。」
「相馬さんもそのつもりではないのですか?」
「確かに会津の辛酸を思うと、新政府の役人になるのは、内心忸怩たる思いがあった。時代が変わったなどといわれても、わたしも簡単に手打ちをする気はない。君と話をして、同じ思いだと気付いたよ。」
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「日向さん。少しいいか?」
「おや、相馬さま。呼んで下さればお部屋に出向きますのに。」
「いや。用があったのでな。」
直正は、店先の帳場で算盤をはじく日向のもとに出向くと、政府から出た支度金を差し出した。
「この度、警視庁で邏卒として働けることになった。ついては些少ではあるが、下された支度金をこれまでの食い扶持として受け取ってくれ。これまで長々と、本当に世話になった。この通り礼を言う。日向さんに出会わなければ、我ら二人帝都でどうなっていたかわからぬ。」
直正は頭を下げた。
日向は、複雑な顔をして、盆に載せた金を指先でついと戻した。
どうしたものかと、内心躊躇している。
「このお金は……受け取るわけにはまいりません。お仕事は公募で出ていたのをお知らせしただけですし……。」
「何故だ?これまで好意に甘えてきたが、今はこうして禄を頂く身分となったのだ。だからこの金は是が非にも受け取ってもらいたい。一衛の医者代も、安くはない筈だ。」
日向はふっと軽くため息をついた。島原屋の主、日向は腹を決めた。
これ以上は隠し通すべきではないと思った。
新政府に雇われた以上、いつかは島原屋の奥のことも耳に入るだろう。
「相馬さまには申し訳ございません。内分にしておりましたが、実は……一衛さま扶持以上に、嶋原屋の裏の商いのお手伝いをしていただいております。」
「裏の商い……?一衛は、療養のためにここに身を寄せているはずだが。」
いやな話だと、直正は思った。
「最初は、日向がご無理をお願いいたしました。一衛さまのお姿を見て、どうしても欲しいという方がいらっしゃったのです。」
「何をさせた……!?」
「ですから、島原屋の裏の仕事のお手伝い……と、申しております。詳しくお話したほうがよろしいですか?」
直正は慄然とした。
背中を冷たい汗が流れてゆく。
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をあこうした
2017年05月05日
昔と違っていたのは駅前だけ、港に面して大型の商業施設が建設され、かつての面影はなくなっていたが、街中は学生時代に訪れた時と変わらない風景だった。込み入った路地道、くねくねと入り組んだ坂道、海と山と島と街が一体化した独特の雰囲気が今も僕を魅してやまない。
小学校の校舎もそれだけで文化遺産のようだ。
学校 7
しかし、街の中の人影はまばらだ。
人口が減ってきているのだという、何しろ坂道だらけのこの街では車はもちろんバイクも自転車さえも使えない家が多く、高齢の方にとっては坂の上り下りが大変だ。家を新築、改築癌症指數するのに重機や車が使えないのである!したがって、引っ越しの費用は平地の街の倍近くになるのだそうだ。
新築の家が建てにくいがゆえに残されたともいえるレトロな街並、それは街の高齢化、若い人が移住しにくいことから過疎化という反面を持っていることを知る。旅人として訪れる僕は地元の方の話にしみじみと頷くだけだった。
空き家 7
街をあげて「空き家プロジェクト」と銘打ち、空き家に移住を促進する計画を推進中だ。
十年後くらいに僕が済んでいるかもしれない
この日の宿はゲストハウス「ヤドカーリ」
けっこうな大人になったので贅沢な宿に泊まれないこともないが、僕はもっぱらリーズナブルな宿か好きだ。相部屋、素泊まり、風呂なし、共同トイレ、1500円でのお泊りだ。
飛行機を使う場合は早割の関係で大きな計画変更は不可だが、それでも最終的なルートが当初の計画と全然違ってしまうこともしょっちゅうだ。
この脳内ジャーニーこそ旅の醍醐味の一つであろう。
一時間もたつともうプランが変わってくる。
これも一人旅こその楽しみである。
道連れがいてはできないことだ。
「旅行」はみんなが楽しい。
「旅」は一人が楽しい。
同じ土地を旅するにしてもその楽しみは例を挙げると枚挙に暇がない。
今回の僕の目的地は広島県の「尾道」である。
学生時代何度も訪れた大好きな街で僕のペンネームの由来ともなっている。
実に訪れるのは約30年ぶりである、長らくご無沙汰していました。
尾道からしまなみ海道、鞆の浦と巡り、最後の日は大阪の通天閣の下に宿を取った。
2段ベッドが2つの4人部屋、僕の部屋は「二階」、ゲストハウスは圧倒的に外国人が多いがこの日の同部屋は日本人の学生と韓国人の旅人。
翌日も生憎の雨、天気には勝てないので雨に関係ないアーケードを散策した。
このアーケードは学生時代に来た時からあったものだ、記憶は美化されるというがあの頃と変わらない風景に三たび懐かしさがこみ上げる。
今回三日間の滞在時にはこのほかにも「さまざ組合屋まな」出来事!があったのだが、それはいつか別の機会に譲ることにして、最後にとても素敵なお店を見つけたので紹介したいと思う。
ゲストハウス「あなごのねどこ」
あなごのねどこ
文字通り 「超ーーー細長い」 ゲストハウス!
ウナギの寝床 7
併設のカフェでランチをいただきました。
とても素敵なカフェです おススメ!
うん十年ぶりに訪れた尾道の街は僕のことたたかく迎えてくれました(^^)
心のなかで「行ってきます」とつぶやきつつ??
僕はこの絵葉書のような街をあとにした???
その代わり仕事が終わるとまとめて休みがもらえる。
僕は半年に一度一人で旅に出る。
ものは考えようだ。
休日は混雑するし盆や正月は料金も割高だ。
シーズンオフの平日は一人で旅をするには魅力がいっぱいだ。